アニメ視聴のスタンスと、そのジレンマ
ここ2年くらい、アニメは数えるほどしか見ていなくて(それでもまあライトアニメファンよりかは見てたかなw?)、特に2012年9月~12月は本当に何も見てないはず。プリキュアも見てない。スマイルごめんね。後でちゃんと見たから。
別にアニメ離れていた理由は、本物のアニメを知りたかったとか、離れたから日本のアニメは糞だと分かったとか語るきは毛頭なく。まあ多分単に食傷で、琴線に触れることが少なくなったからってのも要因だと思う。あと多分もう一つ大きな要因があるんだけど、これはもう少し消化するのに時間かかりそう。
そんな感じで、勉強兼ねてアニメを再び見始めたわけですけど、どうにも困ったことがある。
どこまでのアニメを見るか、線引が上手くできないのだ。いや、アニメの視聴・批評眼が退化したわけではなく、感覚的には、「もうこのタイプのアニメは見る必要ないじゃないかな」という思念が沸いてきてしまうからだ。
寧ろ、時間が経ち、その間に違う感性を用いてたせいで(磨いたとは言えないのが残念)、どうも感性が硬直化、良い風に捉えれば「達した」、そう表現できるかもしれない。
見始めた頃は、どの種類のアニメも吸収できる部分があったし、一般的に駄作とされる作品群も反面教師としたり、あるいは部分的に輝く場所を発見、注目するという視聴方も楽しかたっし、それを血肉にできていると思う。
だから自分の中で余程視聴がキツイ(時間的に、カテゴリー的に)もの以外は、視聴するスタイルを取ってきた。
まあ後年、それがキッカケで食傷を起こしたのだとも思う。
うーん。つまりまあ、今の『このアニメは見る必要ないじゃないかな』の感覚は、その経験から生まれたものだし、信じていいのかもしれない。
ただし、その感覚は、どうも『好み』も大いに関与している。これがジレンマ。
俺は勉強するつもりで見ているけど、それは一面で、エンターティメントとしてのTVアニメを楽しむ心だって当然あるのだ。
なので自分を信じ過ぎると、視聴作品が偏ってしまう危険性、結局目的である勉強が蔑ろにされる可能性、これは避けたい。
時間も有効に使わなければならないが……、後半から盛り上がるアニメも少なくないため、最終的にはどうしても自分の眼で確かめる必要はある。
うまく自分に必要なアニメを取捨選択できればいいんだけどなあああ。
必要になったらレンタルなりで試聴するスタイルも今ならできるので、気張る必要ないんだけどね。これは最近気づいたこと。
ちょっとスッキリしないけど、まあ今は琴線に触れた作品だけ視聴継続しようかな。
(ただクールごとの流行りや傾向の考察は、結構面白い部分なので、余裕があったら触れていきたいのだけど。こういうのもジレンマか)